Lesson7の最後のページでは、特に上生菓子の発展に関りが深いといわれる、茶の湯の文化について詳しく掘り下げていきます。
きっと和菓子の新たな一面を知ることができるでしょう。
それではさっそく学習していきます。
お茶の世界と和菓子
お茶の歴史は平安時代には始まっていたといわれ、室町時代頃に大きく発展しました。
伝来当初は、薬湯だったといわれています。
室町時代末期、武家貴族の間では主に豪華な調度品を使い、鑑賞や品評会を行うなどの「書院茶」といわれる茶の湯が流行していました。
しかし、村田珠光(むらたじゅほう)が、茶の湯に禅の考えなどを取り入れて「草庵の茶」を創始します。
草庵とは、簡素な茶室のことをさします。
その後、武野紹鴎(たけのじょうおう)に受け継がれ、より簡素化していき、やがて千利休によって「侘茶(わびちゃ)」が完成しました。
侘茶の文化は書院茶とは真逆のもので、豪華な調度品は使わず、人と人との精神的な交流とおもてなしを重んじています。

和菓子の中でも、特に上品な上生菓子は、このお茶の世界と共に作られてきたと言っても過言ではないでしょう。
そして、金沢の「長生殿」や松江の「山川」など、茶道をたしなんだ藩主が治めていた地域では、
上生菓子以外にも優れた菓子が誕生しています。
お茶の文化が盛んになるにつれて、添えられる和菓子も、味はもちろんのこと、その見た目の美しさも追及されるようになったからです。
茶の湯で用いられた和菓子
もともと、茶の湯ではどのような和菓子が用意されていたのかを見てみましょう。
1497年の「山内料理書」に、食後の菓子とは異なるお茶請け用のお菓子が用意されるようになった旨が記されています。
ここでは、食後の菓子は気晴らしになるように見た目が華やかなものを、
茶席で用いるものは小ぶりで質素なものが良い、とされていました。
実際にこの当時は、今のような四季折々の色鮮やかな菓子とは異なり、多くは茶会に招く者が手作りをしていたようです。
16、17世紀ごろにお茶会に用意されたものとして、
果物:栗・柿・胡桃・金柑・ぶどう・りんご・桃など
調理物:ごぼう・しいたけ・山芋・昆布・ゆべしなど。玉子素麺や羊羹の記載も。
甘味等:団子・きんとん・椿餅・薄皮饅頭・蒸し羊羹・煎餅など。
このような記載が残されています。
菓子だけではなく、果物や野菜なども出されていたようですね。
千利休とふの焼き
侘茶を大成した千利休が特に好んでいたとされる和菓子が、「ふの焼き」です。
これは、現代でいうところのクレープのようなものだったと考えられています。
水で溶いた小麦粉を丸く薄く伸ばし、その生地の片面に味噌などを塗り、筒状に巻いたもののようです。
千利休が残した100回分にも及ぶ茶会の記録には菓子が88回登場しますが、そのうち実に68回のふの焼きの記載が見られます。
とてもお気に入りだったことが伺えますね。
茶席における和菓子の役割
茶席はお茶が主役のため、和菓子は脇役です。
しかし、そのお茶の味わいをより深く、そして引き立てる大切な役割を担っています。
そのため、お茶に合わせて添えられる和菓子も異なります。
抹茶の量が少ない薄茶をいただく場合には、干菓子を添えて、和菓子が主張しすぎないようにします。
一方、抹茶の量が多く濃い濃茶をいただく場合は、それに合わせて甘みが強く見た目にもボリュームがある上生菓子を添えます。
いずれの場合も、お茶の味と香りを邪魔しない、ほのかな香りでくちどけの良い和菓子が好まれるのです。

以上でLesson7は終了となります。
各ページでテーマを決めて和菓子に関する豆知識を深掘りしてきました。
それぞれの側面から見える和菓子の特徴や歴史はしっかりと身につけられましたか。
次のLesson8では、和菓子の作り方に視点を当てて学んでいきたいと思います。