Lesson7-2 菓子の世界を広げた唐菓子

今回のページでは、今までのLessonで解説しきれなかった
和菓子の発展に大きな影響を及ぼした出来事について、もう少し掘り下げてみていきたいと思います。

唐菓子の種類

Lesson2の和菓子の歴史でも学びましたが、
古代より木の実や穀物など多少の加工を施したものを食べていた日本人へ
最初の菓子が伝わったのは、遣唐使が持ち帰ったものからでした。

練った小麦粉の生地を油で揚げた唐菓子は、それまでの食事とは異なる、新たな菓子という文化を起こしたのです。

では、この唐菓子にはどのようなものがあったかを見てみましょう。

まず、主要とされていた八種(やくさ)の唐菓子についてです。

梅枝(ばいし)

米粉と水を練った生地を蒸して、梅の枝のように形を整え、油で揚げたもの

桃枝(とうし)

梅枝と同様のものと考えられ、桃の枝の形をしているもの

餲餬(かっこ)

小麦粉をこねて、地虫のすくも虫を模り、焼く、あるいは蒸したもの

桂心(けいしん)

肉桂皮の粉末を加えた生地のもの。作り方の詳細は不明

黏臍(てんせい)

うるち米をこねて、へその形につくり、油であげたもの

饆饠(ひちら)

粟・米・キビなどの粉をこね、薄い円形で煎餅のように焼いたもの

鎚子(ついし)

米粉などをこねて丸め、芋に似た形の餅。

団喜(だんき)

別名・歓喜団。米粉などを練って茹でたもの。
現在、1617年創業の亀屋清水で製造・販売しており、当時の歴史を伝える貴重な菓子となっています。

その他の唐菓子

次に、その他の唐菓子を見てみましょう。

索餅(さくべい)

小麦粉と米粉を捏ねて、縄状にして茹でたもの。
Lesson3でも解説しましたが、これが後の素麺になったのではないかといわれています。

糫餅(まがり)

小麦粉をこねて成形し、油で揚げたもの。
藤の蔓(つる)や輪のようなねじれた形をしていたとされる。
現在も、奈良の春日大社・京都の上賀茂神社、下賀茂神社の神饌(しんせん)として残っています。

餢飳(ぶと)

小麦粉を捏ね油で焼いた、または、揚げたもの。
伏菟・伏兎とも書かれ、伏せたうさぎのような形をしている。
現在もその姿を残しており、今は小麦粉や卵などを練りこんだ生地で餡を包んだ、あんドーナツ風の和菓子となっています。そして、春日大社の神事でお供え物として使われています。

粔籹(きょじょ/おこしごめ)

米などの穀物に蜜を加え、煎って膨らませたもの。
今のおこしの原形といわれています。

餅餤(へいだん)

ガチョウやカモの肉や野菜などを餅で包んだもの。
Lesson6で学びましたが、『枕草子』にも登場します。
現代でのサンドイッチのような軽食に近いものだったようです。

結果(かくなわ)

小麦粉を練って、縄のように結んで油で揚げたもの。

餺飥(はうとう)

小麦粉をこねて平らにし、切り揃えたもの。
平安時代後期には、藤氏長者が春日大社で必ず食べたと伝えられています。

粉熟(ふずく)

米、麦、大豆、小豆、胡麻の粉にこねて生地にし、ゆでて甘葛をかけて竹に詰め、しばらく置いてから出して切ったもの。
粉粥とも書きます。


以上のようなものがあります。

今では、残っているものも少なく、文献などを参照してみても詳細な様子についてはわからないことも多い唐菓子。
遥か昔に日本に伝えられ、菓子が発展する大きな一歩となった唐菓子は、まだ謎に満ちた部分もあります。

しかし、このように紐解いていくと、現代に繋がるものもあり、和菓子の長い長い歴史を感じることができますね。