寒さもいよいよ厳しくなる12月。
Lesson3ではここまで季節ごとの和菓子を学んできましたが、それもいよいよ最後の月となりました。
年末を迎え、気忙しい季節になりますが、そんな気持ちを少し和らげてくれるような、
この時期の和菓子にはどのようなものがあるでしょうか。
さっそく見ていきましょう。
12月 師走
12月の異名は師走(しわす・しはす)です。
この名前の由来は諸説あります。
- 師も走るほど忙しい
日本には昔、年末になると各家庭でお坊さん(師)を読んで、お経をあげてもらうという風習がありました。
年末、毎日西へ東へと忙しく走り回る(馳せる)その姿を表して、『師走』といったという説です。
- 御師(おし・おしん)が忙しい
御師とは、お寺で参詣者などのお世話をする人のことをさします。
その方々が1年で最も忙しいことから、『師走』となったという説です。
- 言葉の変化によるもの
1年の最後の月なので、『年が果てる』、つまり『年果つ(としはつ)』から『しはつ』となり、『しわす』と変化したという説です。
代表的なものは上記になりますが、このように異名についてもたくさんのいわれがあるのですね。
新年を迎えるための準備と和菓子
12月が忙しいのは、一年の穢れを祓い、身体を清めて歳神様をお迎えする準備をするなど、様々なことを行うからでしょう。
旧暦12月1日は、各地で水神祭りが行われます。
別名・川浸りといわれます。
この日はお正月を迎える前に心身を清める意味を込めて、餅や団子を川に流したり、自身が川に入ったりします。
また、この日に餅を食べると水難に遭わないともいわれました。
また、12月には正月事始めとして、新年を迎える準備を始めます。
江戸では12月8日、上方では12月13日がその日になっています。

歳神様をお迎えするための門松用の松や薪を取りに行く松迎えや、家の中の煤(すす)を掃う煤払いを行います。
江戸では12月13日に、現代の大掃除にあたる煤払いの儀を行っていました。
江戸時代の朝廷では、この煤払いの儀が終わると、それを手伝った女官たちに腰板を模った台形の餅がふるまわれたといいます。
これは煤餅と呼ばれました。
そして、26日頃になると、新年に供える鏡餅などを作るために餅つきが行われます。
餅つきは、苦に通じるとされる29日や、大晦日の31日につくと誠意がないとされるため、行う日には注意が必要です。
31日についた餅は「一夜餅」と呼ばれてしまいますので覚えておきましょう。

1月から見てきた四季の和菓子ですが、この年末の餅つきまで、各月では様々な餅が登場しました。
古くから日本人にとって餅がいかに神聖で、様々な願いが込められた食べ物だったかということが伺い知れたことと思います。
12月のモチーフ
ではその他、12月に多い意匠などを見ていきましょう。
12月には、一年で一番夜が長くなる冬至を迎えます。
太陽の力が最も弱くなるこの日を境に、その後は再び力が蘇ってくるとされ、
ゆず湯に浸かり、かぼちゃの煮物を食べて無病息災を願います。
和菓子でも、柚子やかぼちゃのモチーフのものが作られます。
柚子は、皮をすりおろして生地に混ぜることもあり、意匠だけでなく、その良い香りも楽しめるものがあります。

そして、冬といえば、雪を連想しますね。
雪のモチーフは、やはり冬ならではといえます。
結晶の紋様を焼き印で押したもの、薯蕷生地をそぼろ状にして装飾したもの、
氷餅を細かく削り振りかけて雪を表現したものなど、様々な雪が表現され、私たちを目でも楽しませてくれます。

最後に、雪の名が入った、趣のある和菓子を取り上げたいと思います。
新潟県長岡市には、有名な「越乃雪」という和菓子です。
これは、もち粉と和三盆糖で作られる落雁で、石川県金沢市の長生殿、島根県松江市の山川とあわせて日本三大銘菓といわれています。
この越乃雪は1778年に9代目長岡藩主が大病を患った際に、御用金物商の大和屋庄左衛門が考案し、
献上したものです。
くちどけのよい菓子に食が進み、病が治り喜んだ藩主が越乃雪と名付けたといわれています。
越乃雪は、多くの歴史的人物たちにも愛されてきた和菓子で、数々の記録にそれを見ることができます。
幕末の志士、高杉晋作もその一人です。
肺結核を患い、もう回復が望めないことを悟った晋作は、亡くなる10日ほど前に、
部屋にあった盆栽に越乃雪を指で潰して粉にしたものを振りかけていたといいます。
今年の雪見が叶わないかもしれないため、越乃雪で、盆栽に降り積もる雪を表現したようです。
晋作は明治の新しい時代を見ることなくこの世を去りましたが、なんとも切なく美しい雪と命のはかなさを感じられるお話です。
