Lesson3‐7 四季の和菓子 7月

Lesson3では、これまで、年始から初夏の和菓子を学んできました。
季節によって様々な和菓子があり、いろいろ新たな発見もあったことと思います。

いよいよここからは、年の後半に突入します。

本格的な夏に近づいていく7月。

どのような和菓子があるのか見ていきましょう。

7月 文月

夏の夜空に美しく輝く天の川を眺め、短冊に願い事を書く七夕は、7月の代表的な行事ですね。

「七」・「夕」と書いて「たなばた」と読みますが、この読み方は古くから日本にあった「棚機(たなばた)」という神事に由来します。

七夕の由来と和菓子の関係

神事の時に選ばれた女性を「棚機女(たなばたつめ)」と呼び、彼女たちは川辺などの清い場所に建てられた機屋にこもって着物を織りました。
そして、神様に供えるために作られた棚にその着物をお供えし、秋の豊作や穢れを祓います。
その時に使われた織機を「棚機」といいました。

そして中国から、織姫と彦星の伝説乞巧奠(きっこうでん)という、
女性が織女星に裁縫や詩歌の上達を願う行事が伝わったことで、
日本古来の棚機と結びつき、今のような七夕の行事ができたと考えられています。

乞巧奠の名残として今も残っているのが、短冊に願い事を書くという行為です。

この七夕も五節句の一つです。

キラキラしたゼリーなどのイメージがある七夕ですが、和菓子とも深い関りがあります。

現在の7月7日は、七夕だけでなく「素麺の日」と定められています。

なぜ、素麺なのでしょうか。

それは、七夕に用意されていた和菓子に関係しています。

かつて、この日には唐菓子の一つである「索餅(さくへい)」が用意されていました。

索餅とは、小麦粉・米粉・塩、酢、味噌を混ぜて生地を練り、縄のようによった形にして油で揚げたものです。
別名「麦縄」とも呼ばれ、疫病除けに食べられていました。

鎌倉時代後期には、この索餅を作る技術を活かして、小麦粉のみの素麺が作られたといわれています。

この七夕は、もともとは貴族の行事でした。

それが江戸時代になると、庶民の間にも笹に願い事を書いた短冊を吊るすという風習が広がったようです。
おもしろいことに、庶民たちはこの日に素麺を贈りあっていたというのです。

素麺は、時の徳川将軍家の献立にも載っていたほど、重宝されていました。
江戸時代では素麺の他にも、柿や梨・栗や芋、うどんや餅なども七夕に食べていたという記録が残っています。

現代の7月の和菓子といえば、やはりこの七夕にちなんで、美しい夜空を模した天の川や、願い笹などの意匠が多く見られます。

織姫の機織りにちなんで、糸玉を模したものもあります。
七夕伝説から、たくさんのイメージが広がるためでしょう。

次に、その他の7月に作られることが多い意匠を見ていきます。

7月のモチーフ

奥ゆかしい上品な女性を連想させる「大和撫子」とは、日本産の撫子の名前です。
撫子は、清少納言や万葉集に多く登場する大伴家持らが気に入っていた花といわれています。

このように、古くから詠われることの多い撫子は、夏の和菓子にもよく用いられます。
開花が秋になっても、長くその華やかさを楽しませてくれることから、昔は「常夏」と呼ばれており、「撫子」と共に菓銘にもよく使われています。

それから、瓢箪(ひょうたん)です。
和名を「ひさご」といいます。

瓢箪は、形がユニークで、見ているだけで心を和ませてくれますね。

この瓢箪と日本人の関りは古く、縄文時代には既に器として使っていたことが知られています。
徳利や楽器にまでなるという瓢箪は、勝利や子孫繁栄の縁起物としても尊ばれていました。

和菓子の世界では、饅頭に焼印として施されたり、木型や流し型でその可愛らしい形を表現されることも少なくありません。

瓢箪は、豊臣秀吉が旗印にした「千成瓢箪」も有名です。