Lesson3‐3 四季の和菓子 3月

続いて、3月の和菓子をみていきましょう。

だんだんと暖かい日が増え、草木も芽吹き始める季節は、春を喜ぶ和菓子が登場します。

3月 弥生

野を舞う蝶や、菜の花、水仙などの意匠の他、雛祭りにちなんだものも多く作られます。

上巳の節句の歴史

3月といえば、3月3日の雛祭りが有名ですね。

別名、上巳の節句と呼ばれ、平安時代から執り行われていました。
この上巳の節句は、古来中国から伝わる行事に由来します。

中国では、3月最初の巳の日に、水辺で穢れを祓う風習がありました。
のちに、3月3日に行われるようになり、日本に伝わってからもそれは変わらず、この日に行われてきたといいます。

この行事に欠かせないものが草餅です。

草の香りが邪気を祓うといわれ、上巳の節句では、母子草を混ぜた餅を食べる習わしがありました。

母子草とは、春の七草の一つ、ゴギョウのことです。
平安時代の記録には、宮中の女性たちが母子草を摘み、草餅にして食べたとされています。
このように、昔の草餅は今のような蓬ではなく、母子草を用いていたようです。

ではなぜ、母子草ではなく、蓬を使うようになったのでしょうか。

諸説ありますが、その一つに、草餅の製法が挙げられます。

草餅は、草を搗き擦り混ぜて作ることから、母と子をそのようにするのは縁起が悪いといわれたことで蓬を使うようになった、ともいわれています。
しかし、一部の地域では、蓬と母子草を混ぜて使うところも残るようなので、これだけはなく、蓬の方が身近にあったということもあるかもしれません。
また、母子草よりも蓬の方が香りが強く、本来の邪気を祓う、という習いにあっていたとも考えられますね。

雛菓子のいろいろ

その他、雛祭りにまつわる和菓子をみていきましょう。

雛人形と共に飾られることも多い菱餅も、雛祭りならではの和菓子です。

こちらは、先に紹介した草餅が形を変えたものとされ、昔は緑・白・緑の2色だったと言われています。
今のようにくちなしで染められたピンクの餅が入り、より春らしい色使いになったのは明治時代頃からと言われています。

この菱餅を、人形遊びの際に砕いて持って行ったことが始まりとされる雛あられもあります。
雛あられは、関東と関西で違いがみられる和菓子の一つです。

関東の雛あられは、はぜ米を使い、それに砂糖をかけたものが一般的です。
代わって関西では、もち米を使います。味付けも、砂糖ではなく、海苔や醤油が使われています

このように、地域によって独自の雛菓子があるのも、大きな特徴です。


あこやという、貝を模した和菓子をしっていますか。

これは、関西地域でよく目にする雛菓子で、阿古屋貝に由来しています

江戸時代の後期には、京都や大阪では「いただき」という呼び名で、雛祭りに配られていたそうです。
また、この貝の先が、生地を引きちぎったようなかたちをしていることから、
ひちぎり」や「ひっちぎり(引千切)」とも呼ばれます。

同じく、京都・大阪で生まれたといわれている金花糖は、鯛や招き猫など、ユニークな形をした砂糖菓子です。
木型に砂糖液を流し固め、着色されています。
金沢城では、これを雛飾りとして使ったという記録が残っています。

愛知県の岡崎市周辺では、雛祭りにいがまんじゅうをお供えします。
いがまんじゅうとは、米粉で作った生地に、赤・緑・黄色で着色したもち米をのせたものです。
このもち米が、栗のいがに似ていることが名前の由来ともいわれています。

もち米の色は、魔よけの赤、生命力の緑、豊作祈願の黄色となっています。

沖縄では、琉球時代から伝わる三月菓子が食べられます。
これは、小麦粉・砂糖・卵などを練った生地を油で揚げた菓子で、旧暦3月3日に行われる「浜下り(ハマウリ)」という伝統行事の後に食べられています。


この行事も、女性が海水で身体を清めるというもので、上巳の節句に通じるものがあります。

このように、一言で上巳の節句といっても、各地域により様々な特色があるのですね。