次に、2月の和菓子について学んでいきましょう。
2月 如月
厳しい寒さの中、春を待ちわびる2月。
代表的な行事といえば、節分が思い浮かぶでしょうか。
しかし、節分とは、この2月に限ったものではありません。
節分の由来とは
節分とは、もともとは、季節の変わり目のことで、立春・立夏・立秋・立冬の前日をさすため、年に4回訪れます。
その中でも特に立春は、旧暦の正月節にあたり、一年の中でも重要視されていました。
そのため、この日に厄落としなどが行われるようになったといいます。
今では一般的な「鬼は外、福は内」という豆まきの時の掛け声は、室町時代頃から唱えられるようになったといわれています。
この豆まきの行事は、中国から伝来したものです。
節分の鬼やらい・豆まきは、「追儺(ついな)」ともよばれ、もともとはこれが源流であると言われていますが、これは中国の「大儺(たいな)」という疫病を祓う風習があり、それを導入したものだと言われています。
大儺(たいな)は大晦日の日に、一年の穢れを落とすために行われました。
一方で節分は、平安時代には災害除けや長寿を祈願して「読経」が行われており、
今のような厄払いの行事ではなかったことが記録からわかります。
それがいつしか合わさって、今のような節分の行事になったと考えられています。

その為、2月になると豆まきをイメージしたものや、豆を使った和菓子が作られます。
豆を入れる枡をモチーフにした「福枡」は、その代表でしょう。
四角い薯蕷饅頭の中には、邪気を払うとされている小豆を使った粒餡が、たっぷりと入っています。
2月のモチーフ
また、この時期の意匠として多いものが、椿や蕨、鶯などです。
どれも春を告げるものといわれています。
寒かった冬から、暖かな春の訪れを感じることができる、どこかやわらかな温かみを感じられる色合いです。

古典文学にも登場する「椿餅」
春を告げる花、椿が咲くこの2月頃になると多く作られるようになる和菓子の一つが『椿餅』です。
かつては『つばいもちい』と呼ばれ、『源氏物語』にも登場します。
蹴鞠の後の定番お菓子だったようです。
肉桂で色付けされた餡入りの餅の上下を、緑鮮やかな椿の葉で挟んでいる形が多くみられます。
ただ、地域によっては椿の葉を使わずに、拍子木形の菓子をそう呼んでいるところもあるようです。

椿に見立てた和菓子は、他にもあります。
「玉椿」と命名された銘菓は、姫路藩主・酒井忠学と徳川家斉の娘・喜代姫との婚礼用に作られ、
明治維新後に一般にも売られるようになったといわれています。
椿も、長寿の象徴であったことから、酒井家が末永く繁栄するようにとの願いが込められたと伝えられています。
このように、抽象的に表現した和菓子に対して、椿の花そのものを模したものもあります。
奈良の東大寺二月堂で行われる修仁会という行事に合わせて作られる和菓子です。
その時に堂内で飾られる椿の造花を表現し、練切で作られた紅白の花びらで、黄身餡のべしを包んでいます。


その他、淡い黄緑色で、両端を少し尖らせたような形で愛らしい鶯が表現された「鶯餅」も、この時期の和菓子です。
Lesson6でも触れますが、この和菓子は有名な歴史的人物とゆかりがあります。

また、早春の植物の中でも、その特徴的な形で人気なものが「蕨」です。
薯蕷饅頭などの白い生地に、焼き印で蕨のくねっとした形を付けると、
雪の中から顔を出し、待ちきれない春の訪れを知らせる、なんとも風情ある和菓子が完成します。
