Lesson5‐3 関東地方の和菓子②東京

東京都に伝わる和菓子

東京都ではその昔、江戸城を中心とする城下町が発展しました。
寺社の門前には茶屋や屋台が軒を連ね、そこから多くの銘菓が誕生します。

その背景には、次のような理由があったと考えられます。

まず初めに考えられる理由は、戦の世から江戸時代という平穏な時代になり、
人々の間にもお菓子を楽しむ余裕が生まれたということです。

また、参勤交代制という制度により、各地からたくさんの名物が入ってきたこと、
それとは反対に、江戸から各地へ名産品が伝えられたことが挙げられるでしょう。

東海道の起点となった日本橋周辺は当時大変にぎわっていたと言われています。

そのような中で発展を遂げてきた和菓子の数々をみていきましょう。

関東と関西で異なる和菓子

同じ呼び名で、和菓子の形状が関東・関西とで異なるものや、その地域独特のものが多くあります。

その1つが『くず餅』ではないでしょうか。

東京を中心とした関東地方で『くず餅』と言えば、乳白色のものが定番です。

一般的に、『くず餅』というと、植物の葛の根からできた葛粉を使い、透明なものを指します。

関東平野では江戸時代、良質な小麦の産地で、原料が豊富にあったことから、小麦粉を使用するようになりました。
そのため乳白色をしているのです。
よく熟成した小麦でんぷんを使用して作られたくず餅は、弾力があり独特の風味を味わうことができます。

また、『桜餅』も、地域で違いがみられる和菓子です。

他のLessonでも紹介していますが、関東の桜餅は、小麦粉を混ぜた生地を薄く焼き、その皮で餡を包んでいます
このことからも、関東平野では小麦の生産が盛んだったことがわかります。

きんつば』も、京都で発祥した当時は、米粉で餡を包み、刀の鍔のように丸い形で『ぎんつば』と呼ばれていました
これが江戸に伝わり、小麦粉で包まれるようになりました。

名前にも諸説ありますが、上方は銀貨が、江戸では金貨が主流だったことから、名前も『きんつば』になったと言われています。
四角いきんつばは、それと区別して『角きんつば』と呼ぶこともあります。

その他の和菓子

その他の東京の銘菓についてみていきましょう。

今川焼』は、神田堀の今川橋の近くで売られていたことから、この名がついたと言われています。
厚みのある丸い形の生地で餡を包んでいる今の形は、江戸時代から変わらず受け継がれているようで、夏目漱石や谷崎潤一郎などの文豪の作品の中にも登場しています。

浅草名物といえば、真っ先に思いつくのが『雷おこし』ではないでしょうか。

『おこし』は、唐菓子がモチーフになっていると考えられています。
平安時代には、お供えとして使われた記録があるほど、歴史のある和菓子です。
もち米などの穀類を蒸して炒ったあと、砂糖や水飴で固めたものです。
これをまねて、大阪では糒(ほしいい)を使い、飴や黒砂糖を混ぜた、石のように固い『おこし』が誕生したと言われています。

このように関東地方では、地域の特産品を生かしつつ、
それを関東に住む人の好みに変えることで、長く愛される和菓子が多く生まれたのです。