Lesson5‐2 関東地方の和菓子①

関東地方では、江戸時代の参勤交代制により、各地方から様々な食べ物等が伝わった江戸を中心に、
その土地の風習なども合わさって、たくさんの名物菓子が誕生しました。

関東地方の和菓子

茨城県

厄除けは、いつの時代でも人々の重要な政でした。
男性42歳の大厄などは一般的に寺社で厄払いを行いますが、茨城県土浦市では、42個の餅を食べる風習があります。

また、茨城県には日本三名園の一つ、偕楽園があります。
梅の名所としても知られるこちらにちなみ、梅を使った菓子も多く作られています。

群馬県

大麦の産地であり、炒った大麦を粉にして食す風習があった群馬県には、『麦落雁』という和菓子があります。
これは、大麦の粉(はったい粉)に砂糖を混ぜて、お菓子として食べやすくしたもので、館林藩主にも献上したと伝えられています。

また、米麦二毛作が盛んな群馬県は、小麦粉を使った料理が多くあります。
中でも、小麦粉で作ったまんじゅうを串にさし、みそだれを塗って焼き上げる『焼きまんじゅう』は祭事でも使われます。

栃木県

うでまんじゅう』とは、古くから栃木県に伝わる素朴な和菓子です。

「うでる」とは「ゆでる」ことで、小麦粉の生地で餡を包み、茹でてつくります。
県南西部の両毛地域では、米と麦の二毛作が行われており、小麦粉の生産量も多かったことから、
このように小麦粉を使い、忙しい時にも気軽に食べられる、うでまんじゅうが作られたのでしょう。

また、観光名所が多い日光市には、日本で初めて羊羹を製造販売したという『綿半』という和菓子店があります。

千葉県

落花生の産地でもある千葉県は、ピーナッツを使った和菓子が多く見られます。

また、成田山新勝寺の参道にお店を構える『米屋(よねや)』の創業者は、栗ようかんを創製したことで有名です。

埼玉県

埼玉県熊谷市は、良質な米や麦、大豆がとれる良質な土地であったことから、米ときな粉で作られた『五家宝』はこの土地の銘菓となったと言えるでしょう。
江戸時代後期から売り出されたと言われ、「米・麦・アワ・キビ・豆」は家の宝であるという祈りから、この名前が付きました。

この五家宝の参考になったと言われているのが、茨城県の銘菓『吉原殿中』です。

これは、水戸黄門で知られる徳川斉昭の時代の御殿女中が残ったご飯で作ったものが起源とされ、
当時は将軍側室への贈り物としても使われたと伝えられています。

神奈川県

神奈川県は、横浜の開港をきっかけに、海外からも様々な品がもたらされ、洋菓子文化も発展しました。
そんな中でも、今も伝わる銘菓があります。

まずは、『外郎』です。

神奈川県のほかにも、外郎を名物としている地域がありますが、
小田原の外郎は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場します。

もともとは薬の外郎でしたが、菓子の外郎が登場しました。

また、横須賀市には、『へらへら団子』というものが今に伝わります。
江戸時代から続く佐島の船祭りの時に作られ、奉納される伝統的なものです。
普段食べる時には、大根おろしに醤油をかけたものも作られますが、祭りの日にはこし餡と決まっています。