お茶の文化と和菓子
室町時代から安土桃山時代の特徴として、茶の湯の発展があげられます。
平安時代から、薬湯としてお茶は使われたようですが、この時代になると、文化として楽しむようになってきました。
そして、この茶の湯から、茶請け用の菓子が生まれました。
当時、お茶と一緒に出されていたものは、甘味としての菓子ではなく、木の実や煮しめなどでした。
それが次第に、茶の味を邪魔しないほのかな甘みと洗練された美しい形が求められるようになり、
この風潮が特に上菓子へと育まれていきました。
京都で誕生した、白砂糖を用いて作られた高級な和菓子は、「上等な菓子」・「献上菓子」にちなんで「上菓子」と呼ばれました。
この頃、上菓子はまだ限られた公家や武家の間でしか食べられていませんでした。
しかしその後、京都や大阪から江戸に伝わったものは菓子も含め「下りもの」と呼ばれ、
江戸の人々は大変喜んだと伝えられています。

江戸時代、和菓子の大成
江戸時代には、それまでの戦の時代と異なり、平和な時代が訪れました。
食べるものにも苦労したそれまでの時代から、人々にも菓子を楽しむ余裕が出てきたのです。
庶民の間でも団子や餅などを使った素朴な菓子が生まれました。
また、参勤交代も菓子に大きな影響を与えたことの一つです。
人々の往来が盛んになり、地方のものが献上されるなどして、全国の名物が伝え広まりました。
この時代、それまで輸入に頼ってきた砂糖が日本でも作られるようになりました。
そのため、砂糖を使った甘い菓子が急速に普及したのです。
また、寒天の製法が発見されたことで、それまでの蒸し羊羹だけでなく、練り羊羹も作られるなど、製法にも発展がありました。
公家や武家が楽しむものだった和菓子は、裕福な町人へ広がります。
そして、町人文化が花開き、寺社の門前や行楽地、宿場などで、
今日にも目にするような和菓子が名物として次々と誕生しました。
皇居が置かれた京都を中心とする京菓子、幕府があった江戸を中心とした上菓子が、互いに切磋琢磨しながら、和菓子の大半は、この江戸時代に大成したといえるでしょう。

西洋菓子と和菓子
幕府が崩壊し鎖国が解かれた明治時代、いよいよ多くの西洋菓子が伝来します。
菓子だけでなく、機器類も伝わったことで、菓子の製法にも大きな影響を与えることになります。
その最たるものがオーブンといえるでしょう。
これが伝わったことにより、「桃山」をはじめとする焼菓子が作られるようなりました。
和菓子のにも、西洋菓子の技術が取り入れられるようになり、更に発展していきます。
この頃、日本古来の菓子と区別するため『日本菓子』『邦菓』、のちに『和菓子』という言葉が生まれました。
また、洋菓子と和菓子の素材を組み合わせた新しい菓子の誕生などもありました。
このように、長い歴史を持ち、今なお時代とともにさまざまに進化・発展していく和菓子は、
先人の知恵や生活に思いをはせ、更には私たちの生活に彩を添えて豊かにしてくれる、日本が誇る食文化なのです。

ここまで和菓子の歴史を時代ごとにまとめました。
それぞれの時代の状況に合わせて和菓子もともに発展してきたことが理解できましたか。
次のページからは和菓子の種類について学んでいきましょう。