和菓子とは
和菓子は、日本古来から伝わるお菓子だと思われているでしょうか。
実は、日本だけではない、様々な国の文化の影響を受けて、和菓子は現在のような菓子としての地位を確立しました。
では、どのようにして誕生したのでしょうか。
和菓子の歴史を知ることは、人の知恵と生活の歴史を知ることでもあるのです。
和菓子の歴史について、見ていきましょう。

和菓子のはじまり
もともと「和菓子」という呼び名は、明治時代にそれまで長く行われていた鎖国が解かれ、
西洋から伝わってきた『西洋菓子』と区別するために、そう呼ばれるようになりました。
呼び名の歴史は意外と浅いものの、菓子そのものの歴史は大変古く、
起源は木の実や果実だったと言われています。
その後、生のまま食べていた果物を天日干しして保存したり、灰汁が強く食べられなかった木の実などを粉に挽き練ったりと、加工することを覚えていきました。
これが、現在の餅や団子の原形ではないかと考えられています。
これらはまさに、今の菓子の始まりと言えるでしょう。

穀物の加工から現在の和菓子の姿になるまでに、大変長い歳月を経ていますが、
その間、国内だけでなく諸外国から伝わった文化なども和菓子には大きく影響しています。
まさに、人々の歴史とともに一緒に進化してきたと言っても過言ではないのです。
それでは早速、次のパートから、和菓子の長い歴史について詳しく学んでいきましょう。
飛鳥時代に伝わった菓子
飛鳥時代(7~9世紀)、遣唐使によって多くの文物などと共に『唐菓子(からがし・からくだもの)』が伝えられました。
この唐菓子とは、米粉や小麦粉・捏ねて油で揚げたものや、豆類に塩を混ぜて揚げたもので、
当時の甘味料である甘葛煎などで味付けされたものと言われています。
唐菓子は味や形が様々で、のちの日本の菓子の発展において、形や製法面で大きな影響を与えました。
現在では、春日神社や下鴨神社の神饌として、その姿を見ることができます。

鎌倉時代に伝わった新たな食習慣
時は流れて、鎌倉時代についてみていきましょう。
中国に留学した僧侶たちが持ち帰った新たな風習がありました。
それまで仏教の教えで1日2食だった日本人ですが、点心(てんじん)という食事と食事の間の小食という習慣がもたらされたのです。
点心には、『羹類』・『麺類』・『饅頭類』など14種類のものがあり、羹類の中に『羊羹』の記載が見られます。
羊羹とは、もともとは羊の肉を固めたものに羹(汁)をかけていただくものだったようです。
当時の禅僧は、肉食をしませんでした。
そのため、豆類や穀物を粉にして捏ねて成形し、羊の肉に見立てたと言われています。
まさに、精進の見立て料理です。
これが後に、汁が除かれ、現在の蒸し羊羹のような姿になりました。
このように、伝わってからしばらくは料理として扱われていた羊羹ですが、この後に菓子として変化していくことになります。

室町時代に伝来した南蛮菓子
16世紀頃、貿易や宣教活動でポルトガル人やスペイン人などが渡来しました。
彼らによって伝えられたものが、カステラや金平糖などの『南蛮菓子』といわれるものです。
この南蛮菓子は、今もなお、現代の人々に親しまれている菓子ですね。
また同時に、砂糖が輸入されるようになりました。
それまで、甘味料は甘葛煮などを使い、植物性の食材のみを使って作られていた日本の菓子ですが、
卵や砂糖を多く使用する南蛮菓子に影響を受け、甘味や製法が大きく変化していきます。
